STORY

物語を紡いでいくために

 このイベントは仙台市・荒浜地域の魅力を伝えていくにはどうしたら良いのか、様々な立場の方たちと言葉を交わし、考え続けていくためのものです。イベントが夏に開催されるので、海を会場に「にぎわい」をテーマにしてはいますが、「にぎわい」という言葉も、〈かつて〉と〈これから〉をつないでいくためのものとして考えています。
 昨年はイベント前にオープニングトークイベントを企画し、今までの経緯とイベントを開催することをみなさんに伝えました。

Date:2022.07.02

2022 オープニングトークイベント

オープニングトークイベント

 イベント終了後にはクロージングトークイベントとして、イベントを振り返ると同時に、今後どのようにしていくのが良いのかを参加者と言葉を交わしながら考えました。

Date:2022.08.27

2022 クロージングトークイベント

クロージングトークイベント

 第2回開催に向けて、今回は七郷地区町内会連合会・荒井広瀬町内会・会長大友周一さんと七郷地区町内会連合会・なないろの里町内会・会長末永稔さんに、かつての荒浜のこと、震災の時のこと、そして、これからの荒浜のことをお話いただきました。おふたりは実行委員会にも入っていただき、イベントの内容や進め方に関して、ご意見をいただいています。

 時間が過ぎていくことで、変わっていくこともあれば、変わらずになにかを問いかけ続けているものもあります。ここでは、かつて荒浜で暮らしてきた方たちの言葉に耳を傾け、STORYを紡いでいきます。

───まずはおふたりにとっての「荒浜とは」というところからお話を聞きたいのですが、おふたりはずっと荒浜で暮らしてきたんですよね。

大友:そうです。小さい時からずっと荒浜で暮らし、荒浜のことが好きでした。春・夏・秋・冬、工夫して、遊んできました。夏はふんどしをして、海で泳いでいました。高い波がくれば、喜んで、深く潜ったりしていましたね。危ないとわかっていても、それが海で遊ぶということでした

末永:冬は山スキーをしたり、沼が凍るので、スケートをしたり、おやつに木の実を食べたりしていました。そんな感じで、荒浜の自然と一体になって遊んでいました。荒浜は、地元であり、故郷であり、遊びの宝庫だったんです。

大友周一さん

大友周一さん

末永稔さん

末永稔さん

───おふたりは子どもの頃から一緒に遊んでいたのですか。

大友:そうです。親戚でもあるので、いつも一緒に遊んでいました。

───そうだったんですね。おふたりが、荒浜の自然の中で一緒に遊んでいたのを想像すると、それが地域に対する想いにつながっていくのがわかるような気がします。

末永:小学校はみんな荒浜小学校に通っているので意識しなかったのですが、中学校に入ると、七郷小学校の子たちと一緒になるんです。その時にライバル心が出てきて、それが地域色を初めて意識することになったのかな、と思いますね。

─── 一緒の中学校に通っているのに、ちがう小学校出身の子たちを意識し合う感じですね。

大友:当時はテストの成績が廊下に貼られたりして、「負けたくない」と思いましたね。

末永:走ったりするのも負けたくないと思ったりして、それと、よくケンカもしたな(笑)。

大友:自分は足に障害があるので、運動が嫌いでした。マラソン大会があって、新浜まで走るのですが、みんなが助けてくれて、がんばって走って、努力賞で赤鉛筆をもらったことがありました。とてもうれしくて、今でも覚えています。

───荒浜の方たちと話していると、そうした助け合いの大切さにふれることが多いですよね。また、運動会の盛り上がりなど、町内の対抗意識がすごい、という話も出てきますね。

末永:自分は6代目なんですが、じいちゃん、ばあちゃんと一緒に暮らしていて、運動会に応援にくるんです。なので、頑張らないといけない(笑)。親子3代リレーというのが、とても盛り上がります。そうやって、家族みんなで楽しむのが、運動会などの行事でした。家族というのは、一緒に暮らしているのが当たり前だと思っていて、離れるなんて、震災前には思っていませんでした。

───震災のお話も聞かせていただきたいのですが・・・・・・

末永:わたしは震災の時、仙台新港にある工場で働いていたので、地震の後、全従業員で歩いてアウトレットまで避難したのですが、そこでも危険との事でさらにまた歩いて、中野栄小学校に避難しました。その日の夜になんとか家族と連絡が取れ、高砂小学校に避難したとの事でした。会社からも帰宅出来る人は帰っても良い事になり、私も高砂小学校に向かいました。歩いている途中で後ろから「高砂小学校に行きたいのですが場所教えて下さい」と声をかけられ、振り返ると娘だったんです。娘も家族と連絡を取り高砂小学校に向かう途中だったのです。その時は偶然の出会いに大変驚きました。それで一緒に高砂小学校に行き、他の家族とも連絡がとれて安心したのですが、高砂小学校ではその地区の町内会の方たちが点呼をとっていて、自分たちはここにいない方が良いかなと思い、翌日の早朝に七郷中学校に行きました。

───その時はどんな状況かわからなかったですもんね。

末永:そうなんです。以前、消防団に入っていたので、責任者に会った時に話をしたら「町を見ない方がいい」と言われました。5日後くらいかな、途中までは行ったのですが。

大友:わたしは震災の時、一番町に職場がありました。そのビルも揺れでよじれたのを覚えています。グル-プ会社の本社が広島にあるので、広島で社長がテレビを見ていて「帰った方が良いと言われました」。街中に職場がある娘と合流して、七郷小学校まで徒歩で行きました。妻は東口のパーキングに停めていた車で荒浜にいる母親を助けるため荒浜の入り口まで行って警察官に止められ、仕方なく車を置いて荒浜小学校まで徒歩で到達しました。次の日まで七郷小学校の校庭に、妻を除いて車の中で過ごしました。犬も一緒だったので、体育館には入れなかったので、車で過ごしました。

───その当時経験されたことは、今、聞いても信じられないようなお話ばかりで、きっといろいろなことを感じ、考えてきたと思います。おふたりはご無事で、ご家族とも連絡がとれて、ほんとうに良かったとお話を聞いていて思いますが、ご近所の方や、お知り合いなど亡くなられた方も多いと思います。いまだに、そのことにどう向き合うのが良いのか、わからないところがあります。

大友:あの時は冷静に考えることができなくなっていました。これから、どうなるのか、不安でした。だけど荒浜に住めると思ってはいました。12月頃に「住めなくなるらしい」という話が出てきて、驚きました。ひとりではなく、みんなで移転していくということでしたが、その話が決まるのが早いと思いましたね。他の地域では、もうちょっと時間をかけて決めていくところもあったので、そうなってくれれば良かったのですが。

末永:町内会や自治会が機能しなくなってしまったんです。あの状況では難しかったと思います。あの時はみんな、自分のことで精一杯で、みんなのことを考えられなくなってしまいました。

大友:町内会長さんだけはみんなのことを考えてくれていたのですが、みんなは自分のことだけになってしまいました。「自分のことは自分でやらないとダメなんだ」とあの時、思いました。どう立て直していくか、自分で考えていかなくてはいけないと。

───そうした状況で、いろいろな立場の方と話し、意見のすれ違いや、ぶつかることもあったと思います。それでも今後のことを選択していかなくてはいけない。しかも、時間も限られていた。そこでもつらいことがあったと想像します。結果、荒浜は人が暮らしてはいけない場所になり、みなさん移転されています。そんな中、おふたりは今でも町内会長を引き受け、みなさんと関わっていられますね。

大友:今も、とても忙しいですよ。

末永:みんなで集まる場をつくったり、ふだんから声をかけあっています。そうしたことが大事なことだと思っています。

───住めないところになってもみなさんには大切な故郷でもある荒浜。これから、どうなっていくのが良いとお考えですか。

大友:わたしたちは、いろいろな打ち合わせや、話し合いに参加することが多いのですが、そうなるとひとつになっていくことが難しいと感じます。仙台市のビジョン、若林区のビジョンなど、それぞれが話し合いをしている。なかなかまとまらない。

末永:このイベントのように、やることが決まっていると話し合うこともわかりやすいのですが、「地域全体」とか「まちづくり」となると、難しいです。

試験的に海水浴の再開イベントも実施されてきました/あらはまわいわいキャンパス

───この実行委員会も、イベントをきっかけに集まってはいますが、そうした問題意識があり、行政の方たちにも横断してもらい、継続して話し合ってきました。だけど、どうしても難しい場面にぶつかります。だけど、そこはあきらめずにやっていくしかないと思っています。この夏のイベントに関してはどうでしょうか。

末永:先日も海を見てきたのですが、暑くなってきたこともあって、すでに多くの人がきていました。そうなると、こうしたイベントでなにを伝えていくか、さらに考えていかなくてはいけないと思います。

大友:かつて荒浜で暮らし、海で遊んできたものとしては、やっぱり海水浴が再開できるようになってほしいです。安全面という課題は常にあります。とくに今の若い人や子どもたちは海の怖さを知らないと思います。そうしたことをどう伝えていけるか、考えながら、これからの海水浴場をつくっていけると良いと思います。

末永:時間がかかっていくと地元を知っている人もいなくなっていきます。海の管理は難しいですが、以前を知っている人と、これからやっていく人がつながっていくことができたらと思います。

大友:地域を大切にしてきたということは、人とのつながりを大切にしてきたということです。海で過ごす、遊ぶ、というのは自分も、みんなも楽しめるもので、お金で買えるものとはちがう、人と関わることの大切さを、海は教えてくれます。

イベントとして単純に「にぎわい」をつくることを成功とするのではなく、“いままで”と“これから”をつなぐために、海をひらくことを考えています/深沼ビーチパーク

───貴重なお話、ありがとうございました。おふたりのお話を聞き、地域の中のつながりの大切さと、それを良い形で続けていくことの難しさを改めて考えました。また、このイベントを通して、かつての「にぎわい」とこれからの「にぎわい」をつなげていけるようなヒントも聞けたと思っています。今日は長い時間ありがとうございました。

大友:こちらこそ、ありがとうございました。

末永:もっと、いろいろ話したいこともあるので、またの機会に。

───そうですね。次はもっといろいろお話を聞かせてください。

取材日:2023年5月30日
協力:せんだい3.11メモリアル交流館
撮影・録音:福原悠介
写真協力:〈荒浜〉佐藤さん・喜田さん